翻訳と辞書
Words near each other
・ ラブレンティ・ベリヤ
・ ラブレー
・ ラブレー (小惑星)
・ ラブレー (競走馬)
・ ラブレース
・ ラブレース (クレーター)
・ ラブロ
・ ラブロマ
・ ラブローション
・ ラブロ片町
ラブン郡 (ジョージア州)
・ ラブ・ぽっ
・ ラブ・ぽっ!
・ ラブ・ゆう
・ ラブ・アクシデント
・ ラブ・アクチュアリー
・ ラブ・アゲイン
・ ラブ・アゲイン (1998年のテレビドラマ)
・ ラブ・アゲイン (2012年のテレビドラマ)
・ ラブ・アゲイン (映画)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ラブン郡 (ジョージア州) : ミニ英和和英辞書
ラブン郡 (ジョージア州)[らぶんぐん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラブ : [らぶ]
 【名詞】 1. (abbr) lab 2. laboratory 3. love 4. (n) (abbr) lab/laboratory/love
: [ぐん]
 【名詞】 1. country 2. district 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ラブン郡 (ジョージア州) : ウィキペディア日本語版
ラブン郡 (ジョージア州)[らぶんぐん]

ラブン郡()は、アメリカ合衆国ジョージア州の北東隅に位置するである。2010年国勢調査での人口は16,276人であり、2000年の15,050人から8.1%増加した〔Quickfacts.census.gov - Rabun County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地は(人口2,047人〔American FactFinder - Clayton, Georgia - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市でもある。
ラブン郡の年間平均降水量は70インチ (1,800 mm) 以上あり、ジョージア州のみならず、ミシシッピ川以東では最も降水量の多い郡となっている〔NOAA Mean Annual Precipitation 1961-1990 〕。
== 歴史 ==
ラブン郡となった地域に1760年には既に探検家達が入ってきていた。18世紀、地域のチェロキーインディアン人口が多かったので、アパラチア山脈のこの部分は「チェロキー山脈」とも呼ばれることがあった。初期の探検家や開拓者は、チェロキー族の住む場所やその方言によって、低地、中間地、および丘陵超えという3つの区分を使っていた。ラブン郡となった場所には少なくとも4つのチェロキー族集落があった。スティカイと呼ばれた中間地チェロキー族の集落はステコア・クリーク沿い、おそらく現在のクレイトン市から南東にあった。タルラと呼ばれた丘陵超えチェロキー族の集落は、タルラ川の上流にあった。他にもチェロキー族の区分が明らかでない集落が2つあり、ウォーウーマン・クリーク沿い、クレイトンの東にあったチチェローエはアメリカ独立戦争の時に破壊され、また現在のディラード近くにはイースタートイがあった。
チェロキー族の存在が大きかったが、その前にこの地域には他のインディアン部族が住んでいた証拠がある。有名なエトワ・インディアン・マウンドなど北ジョージアにあるものに似たマウンドがディラードの東約1マイル (1.6 km) にあり、ミシシッピ文化と呼ばれたマウンドを建造するインディアン文化の名残である〔Roadside Georgia's Archives of Rabun County 〕。このマウンドの位置は、フージャブランチ遺跡としてアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されている。
探検家で博物学者のウィリアム・バートラムがラブン郡の初期訪問者だった。バートラムの1775年5月の日誌に拠れば、チャトゥーガ川がウォーウーマン・クリークと合流する地点近くでチャトゥーガ川を渡ってジョージアに入った。その後、ディバイディングス(後のクレイトンとなる場所)と呼ばれたチェロキー族道の接続点を通り、北のパスオーバー(後のマウンテンシティとなった場所)と呼ばれた地域を進んだ。この行程中にラブン・ボールドにも登った。バートラムがラブン郡を通ったことは、今日バートラム・トレイルと名付けられたハイキング道で記念されている。
ジョン・ディラードとその家族が1794年にこの地域に入り、記録に残る最初期の開拓者となった。ディラードはアメリカ独立戦争への従軍に対して土地特許を与えられていた。開拓者達は当初インディアンから寛大に扱われたが、他の地域から移住させられたチェロキー族が入ってくると緊張感が増した。白人開拓者は自然を尊敬せず、動物を殺す侵入者と見られ、この衝突する文化の間で襲撃事件が日常茶飯のことになった。チェロキー族がジョージア州に土地を譲渡した1817年の数年前に、敵対関係の大半は終わっていた。
1819年12月21日、ジョージア州議会が郡を創設するための法を成立させ、ラブン郡は州内47番目の郡になった。北の境界はジョージア州とノースカロライナ州との州境でもあり、北緯35度線とされた。初期の測量の不正確さもあって、ラブン郡北東隅の境界は北緯35度線よりも数百ヤード北に設定されており、その位置にあるエリコット・ロックがジョージア州最北地点となっている。郡名は第11代ジョージア州知事を1817年に選出されてから死の1819年まで務めたウィリアム・ラブンに因んで名付けられた。1828年、ジョージア州議会はハーバーシャム郡の一部をラブン郡に移管した。1838年、議会は再度ラブン郡とハーバーシャム郡の郡境を調整した。1856年、議会はラブン郡とユニオン郡の一部を合わせてタウンズ郡を創設した〔Rabun County Historical Population Profile 〕。
南北戦争の時、ラブン郡はアメリカ合衆国から脱退しなかった州内5郡の1つとなった〔Rabun County Comprehensive Plan - Chapter 7 - Historical Cultural 〕。この戦争の影響はほとんど無かったが、この地域は無政府状態に近くなった。脱退こそしなかったものの、郡内から南軍に2個連隊を出征させた。
1898年、郡内を南北に通るタルラフォールズ鉄道が建設された。この鉄道沿線で最大級に人気のある駅がタルラゴージだった。この鉄道は60年間以上運行され、ディズニーの映画『The Great Locomotive Chase』にも登場した。
1920年代から郡内で行われた改善の多くが、チャタフーチー国立の森の設立、成長、拡大に貢献した。その重要人物の1人が、ジョージアでは最初のフォレスト・レンジャーである"レンジャー・ニック"・ニコルソンだった。多くの成果の中でも、クレイトンから郡東部のパインマウンテンの町まで、電話線を開通させる手配を行ったことが特筆される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラブン郡 (ジョージア州)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.